【特別コラム】回り道の人生で気付いた「無駄のない生き方」

2015.10.09 事例紹介

今回はカタリバキャスト(大学生ボランティア)として、2012年まで活動していた位川悠一さんにコラム記事を書いていただきました。

位川さんは通信制のサポート校出身です。位川さんが全日制高校を「窮屈」と感じ、通信制のサポート校へと編入した経緯は、特別なことではありません。「全日制に通えなかった自分」という強い劣等感を持ちながらも、通信制高校で出会った様々なバックグラウンドを抱えた人たちとの関わりの中で、「話すことで偏見や先入観はなくなる」ということを知った位川さん。そんな位川さんの高校生活やカタリバでのボランティア経験のお話を通して、何か感じていただければと思います。

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■サポート校との出会い

僕の通っていた高校には定時制と同じように、不登校、引きこもり、帰国子女、或いはなんとなく全日制の高校に馴染むことが出来なかった、等々のバックグラウンドを持っている生徒が、多く在籍していました。定時制との大な違いは、授業時間が昼間だというところと、経済的な事情で入学してくる生徒はそれほど居なかった、というあたりでしょうか。「昼間に通う私立の定時制」のような認識をしてくれれば概ね正しいかと思います。
 
朝の七時に起きる。制服に着替えて九時に登校する。何度かの休み時間を挟みながら午後まで授業を受ける。その後は部活動の練習に参加して日が暮れる頃に帰る。僕がそういった学校生活に上手く馴染めなくなったのは中学生の頃です。登校しても保健室で過ごす時間が増え、遅刻や欠席の日数もかさんでいきました。人間関係のトラブルとか、勉強嫌い、部活動での怪我。学校が嫌になっていった具体的な原因なら幾つもあるのですが、それらを全部まとめて、端的に表現するとしたら、窮屈だったという言葉がいちばんしっくりきます。定期的にやって来る試験や、迫ってくる受験勉強、或いは部活動の大会。それらを用いて僕らを急かす大人たちの「無駄なことをせず、やるべきことをやれ」といわんばかりの態度が、僕にはすごく息苦しかったのです。

そんな中でもなんとか受験をして、一度は全日制の、普通科の高校に進学したのですが、その学校は、僕が通っていた中学校以上に、校則による縛りが厳しかったので、僕は嫌になって、入学してから二ヶ月も保たずに、すっかり不登校になってしまいました。それから半年ほどは、「ああ、この先の人生どうなっちゃうんだろう」という漠然とした不安を抱えながら、一日中図書館にこもって、本を呼んだり小説を書いたりして過ごす日々を送っていたのですが、ある日たまたま、前述した通信制のサポート校の広告を見つけて、見学に出向き、その年の秋に編入をしました。
  

■自分と違う相手を受け容れることの楽しさ

サポート校で過ごした高校生活はとても良いものでした。生徒だけでなく先生方も含めて、自分がそれまで出会ったことのなかった、或いは親しくすることのなかった類のひとたちが多く居たからです。ミュージシャン。うつ病患者。帰国子女。武闘家。同性愛者。女優。十代の母親。みんなに何かしらの癖がある一方、どんな境遇や経験、考え方を持っているひとでも、話をすれば自分とそれほど変わらない普通の人間だということ。たとえ自分と大きく違う相手であったとしても、気持ちを閉ざさなければ、受け容れるのはそれほど難しくないのだということを、肌の感覚で学ぶことの出来た貴重な日々でした。

その一方。当時の自分は劣等感も抱いてしまっていました。「全日制の高校に通えなくなった自分」に対する強い劣等感です。ある日の通学中。学校の近所に住んでいると思しき中年女性たちに後ろ指をさされて、「落ちこぼれの学校の生徒」というふうに貶され、悔しく思ったことを、はっきり覚えています。僕は自分の通っていた高校のことがすごく好きで、それどころか誇りにさえ思っていたというのに、落ちこぼれだと言われたぐらいで劣等感を感じてしまったことが、なおさらショックでした。そしてこの嫌な劣等感は、高校を卒業して大学生になっても、自分の中に残り続けていました。

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■カタリバに来たのは生徒さんから学びたいことが多くあったから

この劣等感をなんとか払拭したいという気持ちが、僕がカタリバの門を叩いた理由のひとつでした。僕自身が早い段階で投げ出してしまった、全日制の高校生活を送っている生徒さんたちが、いったい何を考え、何に悩み、何に喜び、何を感じて日々を過ごしているのか知りたかったのです。自分がサポート校で過ごしていた頃に、様々な境遇のひとたちと膝を突き合わせて語り合うことで、偏見とか先入観をなくしていけたように、全日制の高校生たちとだって、実際に話せば、全日制に通えなかった自分たちとそれほど違わないはずだという仮説を立てたからです。相手のことをよく知らないから劣等感を感じてしまうだけで、会って、喋って、知っていくことで、僕が自分の中に勝手に作っていた、彼らとの溝を埋めることが出来るのではないか、という思いがあったのです。

そういう動機で参加していたので、自分がキャストとしてやってきたことというのは、現場で出会う生徒さんたちをはじめ、学校の先生たち、一緒に活動するキャストたちに至るまで、僕とは違う人生を生きてきた他者から、僕の持っていないものとか、知らないものを教わり、学ばせてもらうという、基本的にはその一点だけです。

僕が学ばせて貰う対価として、相手も何か、それまで知らなかったものを僕から受け取ってくれていれば、尚のこと嬉しいという気持ちもありましたが、自分がカタリバと関わったことで何かを残せたのか、というところは、正直なところ、未だに分かりません。ただ出会った生徒さんが、僕から何かを受け取ったよと口にしてくれた時には、僕自身もそのことが嬉しく、自分の価値を認めてもらえたかのような自信を貰えたので、僕が彼らから何かを教わることで、彼ら自身もそういう気持ちになってくれていたら良いな、とは思っていました。現場に行く前後に、毎回考えていました。自信や学びといったものは、どちらか一方が与えるものではなく、互いに渡しあってこそ素晴らしいものなのだなと、数年間で多くの現場を経て、今は思っています。

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■「無駄なことをしない」ではなく「やったことを無駄にしない」という生き方

また自分が全日制の高校に通えなかったからこそ出来たことも、多くありました。全日制の高校には、全日制での高校生活を知らないキャストとして。定時制の高校へは、全日制ではない高校生活を知っているキャストとして。多くのキャストが全日制の高校を卒業している中、僕は彼らとは少し違った立場のキャストとして現場に足を運び、少し違った切り口で以って、生徒さんたちとお話出来たのです。思い返せば中学時代から、全日制の高校をやめるまでに掛けて、「無駄なことをせず、やるべきことをやれ」という風潮に息を詰まらせていた自分ですが、カタリバという場所は僕にとって、自分のこれまでを活かせる場所、「やったことを無駄にしない」活動が出来るところでした。キャストとしての活動が数ヶ月経った頃になると、もうすっかり、全日制の高校生活に対して長年抱いていた暗い劣等感も、綺麗になくなっていました。

人間の成長度合いというのは、どこに居たかではなく、自分が居た場所で何を学べたかによって決まってくるものだと、僕は思っています。「無駄なことをしない」というのが嫌になって、全日制の高校生活に馴染めなかった自分ですが、サポート校での生活やカタリバでの活動の中で覚えた、「やったことを無駄にしない」という姿勢は、社会人になった今も、自分が生きていく上での基本姿勢として、きちんと活きています。 

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カタリバキャストとして活躍をしてくれる大学生には相互に学ぶ「半学半教」の精神があります。どんな人からも学ぶことができ、どんな人にでも誰かに何かを伝えることができる、そんな考えが強く根付いています。キャストになるためには話が上手である必要も、特別な経験も必要ありません。あなただからこそできること、伝えられることがあります。

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